2013年6月2日日曜日

アブストラクト・アーリー・サマー

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六月の声も聞こえ、いわゆる初夏と表現される時季になってきたかと思います。初夏、それから梅雨も含めて、春とも夏とも違う独特の趣を携えた季節でありましょう。それを良しとする感性は、忘れずにいたいものです。

初夏といいますと、象徴的なイメージを私は二つほど持っています。
少し、触れてみることにします。

一つめは、百人一首にあるこちらの歌のことです。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
ここでいう春と夏は、現代のそれとは多少時季がずれているのかもしれません。そのあたりのことは置いておくとしても、ここで示されているような、初夏の良い天気の日に白い衣を干している風景は、私に強いイメージを与えます。それが天の香具山であることも、連想に一役買っているかもしれません。街ではなく、山だということです。

以上が、初夏に対する私のイメージの一つめです。キーワードで言えば、良い天気、山、白い衣、といったところです。

二つめは、ロックバンド「ムック」の楽曲、「雨のオーケストラ」からの一節に拠ります。
こちらです。
葉桜を濡らす初夏の雨、
いない君を探してる僕
先ほどの清々しさと対照的な、アンニュイさが見てとれます。すべからく、初夏の有様として雨模様は触れられるべきでしょう。
やはりキーワードを掲げておくなら、こちらは雨と葉桜になるかと思います。

いま、良い天気、白い衣、雨、葉桜、といった名詞たちが現れてきました。名詞ですので、いずれもこの上なく具体的な存在です。
しかし、それらが基本的に意味することは、前半のものと後半のものとで大きく異なります。率直に言うなら、前半の言葉はポジティブで、後半はネガティブなわけです。かなり乱暴なくくりではあるものの、直感には反しません。

そのようにばらばらのものから何か共通な要素を見いだして活用することは、抽象化とか一般化とかいうものの機能のひとつになります。今回の例なら、初夏を連想させるもの、とでもなるはずです。

視点の高度、といった表現でよく語られていることと似たような話です。

抽象的であることと言うと、思い出す話があります。

先日、『「やりがいのある仕事」という幻想』との書籍を読みました。そこで、非常に興味深い指摘がされているのを目にしました。

『「やりがいのある仕事」という幻想』(森博嗣)
著者の森氏が、問題を抱えた人たちのお悩み相談を受けた経験を思い返して、書籍内でそれに対して改めて回答しようという趣向です。

件の興味深い指摘は、実際に回答を始める前、前置きの部分にありました。
長くなってしまい恐縮ですが、少しずつ引用しながら進めていきます。

それは、次の衝撃的な一文から始まります。
まず、全体にいえるのは、問題は具体的なもののはずなのに、相談のとき言葉になるものは非常に抽象的だ、ということである。
うなりました。
確かに、個々の人たちがそれぞれに抱いている問題、悩みは、考え得る限り最大級に具体的です。
具体的であることに程度の概念が存在するかどうかは議論の余地があるとはいえ、ともかく、個人的な悩みは具体的なものです。

しかし、それがお悩み相談の形式をまとったとたん、抽象的な言葉に変わります。
お悩み相談の様子をご想像いただければ、同意できることでしょう。そこではなぜだか、質問の内容が抽象的に、一般的になっているのです。

同書は続きます。
これは、具体的な部分が「恥ずかしい」からぼかされている結果だが、しかし、相談をするだけで、自分が抱えている問題を抽象化できるという点は見逃せない。
相談するだけで悩みが抽象化されて、客観的になれるのです。
そして、いよいよ至る指摘が次です。
これが、たぶん相談をすることの唯一の具体的なメリットといえる。すなわち、相談者というのは、回答を聞く以前に、問題を自ら抽象化したことで見えてくる答を、自分の中に既に持っているのである。
相談をすることの機能は、抱え込んだ悩みを抽象的に見直させてくれることだというのです。
なるほどと思いました。

このことは何も、お悩み相談に限ることではないのでしょう。
日常のあらゆる場面で、一人で考えてもらちが明かないことが、他者に助けを求めた途端になんとかなるような状況に出くわします。それがうまくいく仕組みのひとつが、自然と問題が抽象化されることなのだろうと想像できるわけです。

さて、ここまで、物事を抽象化して見ることの例を二つ説明してきました。
初夏の話と、お悩み相談の話です。

それらを踏まえて、ひとつ、触れておきたいことがあります。

抽象化することは、捨象とか要約とか、簡略化することなどとは基本的に異なる思想だと思うのです。
後者の方は、大まかには話を簡単にするというもので、扱う情報量を減らすことになります。一方で、抽象化はまず間違いなく情報量を増やす手続きです。

今回の例で見てみると、もともとは、山、白い衣、葉桜、雨、しか扱っていなかったのに、そこに初夏が追加されています。
二つめの例なら、当初は自分が抱えていた悩みしかなかったのに、途中からは他者に相談するための言葉も管理しなければなりません。
話は複雑になっているわけです。

ちょうど、地図のアプリケーションのようなものです。
拡大させると、お店や交差点の名前まで細かく表示されます。航空写真のビューであるなら、道路のコンクリートまでも確認できるでしょう。
縮小させると細かい情報は見えなくなりますが、その分だけ広範囲を表示させることができますので、別に情報量が減っているわけではありません。
ディスプレイの大きさが変わりでもしない限り、ふつう、情報量の増減はないのです。

そして、必要に応じて縮小と拡大を繰り返しながら、すなわち様々な高度の情報を複雑に取り扱いながら、目的地にたどり着くわけです。

目的地が遠ければ、縮小した表示が良いでしょう。
近いなら、コンクリートのありさまも見える方が良いはずです。


終わりに


念のため、解説しておきます。

本エントリの中ほどに「うなりました。」とあります。
これは、自分の抱えている問題と、言葉にした問題との二種類があって、それらが似ているけど少しだけ違うため、「うなり」ましたとなっています。
振動数が少しだけ違う二つの音が、干渉していたというわけです。