2014年8月19日火曜日

ラウンド・アバウト・ランドリー

Clip to Evernote
何かをやれることと、繰り返しやれることは違うようです。
例えば家事です。家事ができることと、家事を毎日できることは違います。

後者を指して、回すという表現が用いられます。対象をサイクルの内側に位置させているような、独特の語感があるように思います。

私が座右の銘としている言葉の一つに、次のものがあります。
Diggy-MO' の楽曲『STAY BEAUTIFUL』からの一節です。
懸命にやって 簡単だって言ってやれ
しばらく以前に出会った言葉ではありますが、私の座右の銘であり続けています。

一生懸命にやります。しかし、簡単であったかのように振る舞います。
達成できているとは思えません。だからこそ、座右の銘であり続けているとも言えるでしょう。

こちらの記事を読みました。

コインランドリーについてのあまり意味のない文章:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

次のようにあります。
突然大きな若い男が乱暴に扉を開けて入ってくる。乾燥機がまだ回っているのを目にして舌打ちし、また乱暴に扉を開けて出て行く。
コインランドリーの思い出のようです。

私にも、コインランドリーへの思い入れがあったりします。
乾燥機がまだ回っているのを目にすると、私などはほっとしたりもしました。

今となっては昔の話です。
私の人生にとって、重要な時期のことでした。重要といっても、外から見てキャッチーだというだけで、私自身がその時期を特に価値の高いものとしているわけではありません。
重要でない時期などというものが、それほどあるとは思えないためです。

当時の私は、毎週日曜日にコインランドリーに行くことが習慣でした。一週間分の洗濯物を背負っていくのです。

洗濯から乾燥までのサイクルには、一時間かかります。
多くの人は、洗濯機が回り始めたらその場を離れ、一時間後に戻ってきます。

私はいつもコインランドリーに留まって、回る洗濯槽を眺めたり、本を読んだり、あるいは何もしなかったりして、一時間を過ごしました。思えば、コインランドリーという場所が好きだったのかもしれません。
毎週日曜日の一時間は、何の意義もありませんでしたが、それなりに有意義でした。

長く続いた習慣です。当然のように、あるいは不思議と、さまざまなことが起きます。
帰ろうとしたら嵐だったこともありました。高熱でふらついていたこともありました。苦労はありましたが、日常を回すためと思えば安いものです。

日曜日であることも、また良かったように感じます。
人生に疲れていたとは思いませんが、衣服と心を洗濯して、また新しい週を迎えることができます。

心を洗濯するというのは、何かの比喩です。洗濯の他にも、似たような機能を持つ言葉は大変に多くあります。
私は、心を入れ換えるとか、心機一転などよりも、心を洗濯するという言葉の方に好感を持ちます。

人生に疲れると言うことがあります。仕事に疲れる、家事に疲れると言うこともあります。
私は、人生に疲れる方が、何か他のものに疲れるよりも、建設的で良いと思っています。

家事に疲れるなどと言うと、家事を忘れてぱーっとやる、といった解決策が不自然に説得力を持ってしまうようです。根拠はないはずです。思考の停止に属するものでしょう。
私の感覚では、家事を忘れてぱーっとやったところで、家事に疲れている状態は変わりません。家事を忘れてしまっているためです。

その点、人生に疲れるのは建設的です。人生を忘れてぱーっとやることはできないためです。どれほどぱーっとやっても、それは人生に含まれています。
人生に疲れたときには、曲がりなりにも人生を継続しながら、少しずつ、解決策を探っていくことになるはずです。劇的で、不自然に説得力のある方法はありません。

心を入れ替えるより、洗濯する方が好感を持てると書きました。似たような理由になります。
洗濯することは、買い換えることとは違います。劇的な解決策に頼らないということです。

そして、懸命にやって簡単だと言うことの意味が、ここにもう一つあります。

何かの困難を、懸命に解決しようとする場面をご想像ください。
その解決策が、大変に劇的なものであったとしましょう。

劇的な様子によって解決してしまえば、後になって、簡単だったとうそぶくことはできません。劇的なのですから、簡単には見えないはずです。

簡単だったと主張するためには、隠れてこそこそと、しかし懸命に、手を打っていくことになります。ずいぶんと地味な対策になることでしょう。

懸命にやって簡単だと言うことは、劇的な手法を求めないことです。可能な限り、劇的でなく、サイクルの内側にある方針を選ぶことです。

先にご紹介した記事中で、こちらの記事が紹介されています。

コインランドリーガール

次のようにあります。
そんな生活の中で一つの贅沢を覚えた。
それはコインランドリーに行くことだった。
よい贅沢です。洗濯機を回すためと思えば、安いものです。


終わりに


回ることの外側には、ドラマがあります。内側には、思索があると良いなと思います。
ずいぶんと回りくどい洗濯の話になりました。